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自然共生のこのロゴマーク、あの空海が書いた文字なんですよ

光本会長が自然共生を立ち上げる際、デザイン会社にロゴをお願いしたところ、どれもピンとこなくて、色々訪ねてたどり着いたのが空海の書だったそうです

そこから、自然共生の4文字を取り出して組み合わせて創りました

そんな話しから、歴史好きの磔さんが空海と最澄についてのちょっとイイ話しを教えてくれましたので、ここでご紹介したいと思います

磔さん、「自然共生新聞」と題して、週に2回ぐらい私達に通信販売や化粧品などの最新情報と、それに加えて歴史のコラムをメール配信して下さっているんですよ

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<空海と最澄>

平安時代に入って、それまでの日本では仏教が広く信仰されていましたが、
仏教のいろいろな宗派の中でも盛んだったのが法相宗で、これは、
家柄によって人は仏になれるという貴族層に都合のいい宗教でした。

最澄がひらいた天台宗は、だれでも仏になれるという教えで、
最澄が時の桓武天皇に庇護されたため、日本に広まることが出来ました。

そして比叡山の延暦寺を修行場として、僧侶は人々のために尽くすよう教えました。
これまでの僧侶は貴族と癒着して私利私欲にはしっていたので、これを改めたのです。

時は流れて嵯峨天皇の代になると、空海(弘法大使)が「真言宗」を広め、
「密教」の効果とあいまって庶民の人気を集めます。

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真言宗は、人は生きたまま仏になれるという教えで、
密教とは、祈祷で病気や災害を取り除く行為です。
(科学が発達した現在では信じられないかもしれませんが、
  当時は説明できない事象は全て祟りなどで片づけられていました。)

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空海は朝廷の命令で中国で20年間、先進仏教の情報を集めるよう命じられていましたが、
2年で切り上げて帰国します。
(空海の頭がよかったから2年でマスターできたとか、
  帰国後、九州の太宰府に滞在したのは朝廷の怒りに触れたからとも、
  その後、都に戻れたのは最澄のとりなしとも言われますが、真偽は定かでありません。)


都に戻った空海は、嵯峨天皇の庇護を受けて前述の真言宗と密教で人気を博します。

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当時、一番勢力のあった天台宗ですが、密教については得意でなかったため、
徐々に空海人気に押されていきます。

修行で自分を高める必要がある天台宗より、僧侶が密教で施す祈祷によって、
自分は努力せずに災害や病気から救われるほうが楽だったからです。

そこで最澄は自ら7歳年下の空海に密教の教えを乞うことにします。

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なぜ一番人気の天台宗のトップが、
後輩で若年の空海に教えを乞うのかと弟子たちからは強い反対があったと言います。

最澄はこう返したそうです。

「どちらが人気があるとか無いとか、そんなことは御仏の前に何の意味もないことです。
  空海から学べることがあるから私は学ぶ。それだけのことです。」


空海
774年 - 835年4月22日

最澄
767年9月15日 - 822年6月26日
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以上、 いかがでしたか??

この文章はすべて磔さんがまとめられたものです

とても分かり易くて、歴史に興味がない方にも読んでもらえるのではと思います

ちなみに、途中に挟みこまれている挿絵は、村上先生作です

このコラムを読んで、ササっと描いてくれました

もうちょっと真面目に描いてくれると尚良かったのですが・・・

空海が勉強に励んでいるイラストで、「なるなるなる〜なるなる〜」とありますが、なるほどの略です

最澄のように常に謙虚な気持ちで、いろんな方から教えを乞いたいと思います


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